今は 9 月 1 日の夜ですが、何も書いていません。。
今は 9 月 8 日になりました。1 週間経ってようやく 8 月のまとめを書きに来ました。明後日は中秋節で、教師の日でもあります。2 つの祝日が珍しく重なったので、ここで一緒に紹介します。
中秋節は、祭月節、月光誕、月夕、秋節、仲秋節、拜月節、月娘節、月亮節、団円節などとも呼ばれる中国の民間伝統祭りです。中秋節は天象崇拝に由来し、古代の秋夕祭月から発展してきました。中秋節には、古くから月を祭り、月を楽しみ、月餅を食べ、花灯を見、桂花を楽しみ、桂花酒を飲むなどの民俗があり、今に至るまで受け継がれています。中秋節は古代から起源を持ち、漢代に普及し、唐代に定型化されました。中秋節は秋の季節の習俗の総合であり、その中に含まれる祭りの要素はほとんどが古い起源を持っています。月を祭ることは民間の重要な礼儀の一つであり、次第に月を楽しむことや月を称える活動に進化しました。中秋節は月の満ち欠けが人々の団円を象徴し、故郷や親人を思い、豊作や幸福を祈るためのものであり、豊かで貴重な文化遺産となっています。最初の「祭月節」の日付は干支歴の二十四節気「秋分」の日でしたが、後に夏歴の 8 月 15 日に調整されました。中秋節は春節、清明節、端午節と並んで中国の四大伝統祭りとされています。
教師の日は、教師が教育事業に貢献したことを認めることを目的としています。中国の近現代史には、教師の日としていくつかの日付が存在しました。1985 年に第六回全国人民代表大会常務委員会第九回会議で、国務院による教師の日の設立に関する提案が通過し、1985 年 9 月 10 日が中国初の教師の日として正式に定められました。教師の日は中国の伝統的な祝日ではないため、各地で毎年異なる祝賀活動が行われ、統一された固定の形式はありません。政府や学校では、教師の日の祝賀表彰大会を開催し、教師に賞金や証書を授与したり、学校の生徒や歌舞団を組織して教師に歌や舞踊を捧げたり、教師代表を訪問して慰問したり、新入職教師の集団宣誓などの活動を行っています。生徒たちは、自発的にオリジナルの参加を通じて、祝福を掲示板やカード、絵画に書いたり、集合写真や活動の感想を個人のスペースや微博に投稿して、教師への真摯な祝福や心からの挨拶を表現しています。
中秋について言えば、ほとんどが学校で過ごしており、月を楽しむような活動はあまり行われていません。月餅は悪くはないのですが、私が好きなタイプはあまり一般的ではないだけです。「江畔何人初見月?江月何年初照人?人生代代無窮已,江月年年望相似」と言うしかありません。教師の日については、小学校の時が最も雰囲気が濃厚で、中学校が次に濃厚で、高校ではまた次に薄くなり、大学ではほとんど誰もこの祝日について話さなくなりました。おそらく中秋にすべての注目が集まってしまったのでしょう。小学校の時の黒板報は大部分私が担当しており、教師の日の特別版も例外ではありませんでした。
余談はさておき、先月のまとめに移りましょう。前回言ったように、泸州の 8 月は異常に暑く、エアコンが数日間壊れていましたが、修理されて良かったです。その後、武漢に来ましたが、気温は 39 度以上にはならず、涼しいとは言えませんが、泸州よりはずっと快適でした。その後、秋にも無事に入ったようです。私は 9 月の最初の週に起こった出来事が、8 月全体の出来事よりも多く、印象に残るものだと感じています。例えば、泸定の地震についてですが、大干ばつの後に大地震が起こるのは科学的な理由があるのかは分かりませんが、四川の人々はこの 2 ヶ月間本当に大変な思いをしています。また、魔方ロボットプロジェクトの調達費用の精算にいくつかの困難があり、良い試合をすることや、将来の仕事のことを考えるのも簡単ではないでしょう。
他の面では、8 月から日本語を再開し始めました。続けられることを願っています。結局、私の学校に JLPT の試験会場が新たに設置されました。休暇中にピアノは先生の指導の下で少し進歩しましたが、残念ながら学期が始まった後はピアノの授業を選択できず、練習の機会がどれだけあるか分かりません。
8 月のまとめはここまでにしましょう。9 月が終わると 10 月になり、また一つ年を取ります。その時にまた話しましょう、over。